おしらせ

2019-03-26 15:39:00
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1980年1月29日、神奈川県生まれ。

2003年よりタトゥーアーティストとしての道を歩き始め、インドネシア、イギリス、アメリカ、ポーランド、イタリア、カナダ、ドイツを旅し多様なタトゥーアーティストと出逢う中で、タトゥーの表現力の多様さに魅了される。

 

2008年1月に千葉県にて未婚で長男を出産後、4月に渡米。マサチューセッツ州にてタトゥーアーティストライセンスを取得し、タトゥーショップにて約一年間勤務。

 

2009年に帰国し、東京に拠点を置くも2011年3月11日に東日本大震災にあい、奈良県に移るが、暮らしやすい気候を求めて2012年4月より沖縄県名護市に拠点を置く。2015年3月に未婚で長女を出産。

 

2016年9月より京都造形芸術大学通信教育部に編入学し芸術を学び、2018年9月に卒業。卒業研究では、古くは琉球の頃より沖縄に存在したハジチ文化を取り上げ、私たち人間の生活から生まれる文化の意義を考察した。http://g.kyoto-art.ac.jp/reports/1456/

 

2019年2月22日に読谷村大木にスタジオをオープン。

 

以上、サクッと書いた自分の人生にあっけなさを感じ寂しくなりましたが、私自身が初めてタトゥーを彫ってもらったのは、2000年、20歳の時でした。

 

当時はインスタなんていう便利な無料情報媒体はなく、公衆電話のハローページで、”彫師””いれずみ”かなにかでタトゥーを彫ってくれる場所を調べて電話を掛けました(笑)

 

行ってみたら、昔ながらの和柄専門店。

いわゆる紋々のお兄さんたちがたくさんいて、20歳の小娘は明らかに場違いなかんじだし、

右腕に「JISマーク」を彫ってもらいたいって言うのも、場違いなかんじ(笑)。

なにせ日本工業規格のマークですから、昔ながらの和柄専門店で、見た感じ怖い系の若いお兄さんに「本当にこれ彫るの?」って何度も聞かれました(笑)

結果、期待通りキレイに彫ってもらって、お兄さんには今でも感謝です。名前もちゃんと覚えてます(笑)

 

バイトして自分で稼いだお金で彫りましたが、その頃の私の一番高い買い物といったらTHE BOOMのシングルCD「島唄」だったので、タトゥーを彫って大人としての実感みたいなのを得た記憶があります。

 

あと、私の思春期真っ盛り義務教育を受けている当時、1999年に人類は滅びるとか言われてたから、2000年になって「滅びないしどうやら大人になれたようだ、やりたいことやって生きなきゃマズイ」って思ったのか、とにかく私にとって「2000年の20歳」は節目でした。

 

タトゥーを彫ってから半年後、自分のやりたいことを見つけたくて、そのためには親にお金を出してもらって大学行くのは違うと常々思ってたので、大学中退を申し出て家を出て、もうそのあとは、がむしゃらに、いろんな仕事しながら生きてきました。

 

 

なにをしたら自分はたのしいのか、しあわせを感じられるのか、どんな自分で生きたいのか、文字通り裸になって仕事してきました(笑)

その頃「なんで、ジスマークなの?」っていろんな人からよく聞かれましたが、話すと長くなるので「私は日本製で安全だからです」と適当に答えていました。すみません。

 

 

話すと長い話は、書いても長くなるんだろうか?(笑)

 

 

私が子どもの頃、両親の家にはKAWAI製のアップライトピアノが家にあって、そのピアノにJISマークが書かれていました。

小学校教師だった父は、私が大人になったら幼稚園の先生になればいいと言って、5歳の頃から私はピアノ教室に通わされていました。

 

「通わされてた」って言い方ひどいですけど、当時はあくまで、絶対的な父からの指令なので(笑)、楽しいとか、おもしろいとか、嬉しい気持ちよりも、練習やだ、面倒くさい、なんのために?という気持ちが大きかったです。(幼稚園の先生じゃなくて、ケーキ屋さんが小さいころの夢だったし。)

 

そんな気持ちだから、家で練習しないし、ピアノの先生に私のやる気のなさがバレる。

 

先生はやさしい女性の先生で怒らなかったけど、先週弾けなかったところを今週も弾けないで同じこと注意されるのは、さすがにこどもだってやるせなさすぎる。

で、家で練習するようになったけど、突然うまくなったりはしない。

 

できなくて怒りがわいてきて、ピアノの鍵盤を叩いて八つ当たりしたって、

理不尽さを感じて、うわーーー!ってピアノに泣きついたって、うまくはならない。

 

5年弾いても10年弾いても15年弾いても、自分で何度も同じように鍵盤に指を運んで、少しずつ弾けるようになるし、それを自分がしなかったら永久になにも変わらない。

 

その「自分が行動しなければ、永久になにも変わらない」という、たいせつなことを小さいころから長い間私の体にたたきこんで教えてくれたのは、親でも学校の先生でもなく、ピアノでした。

 

私はこどもの頃、タトゥーというものを知らなかったけれど、小さいころからずっと寄り添ってくれていたKAWAIのピアノに入っていたJISマークを、いつからか”消えないもので私の体にも残したい”と思うようになりました。

 

単純に、ピアノとつながりたい、みたいな素朴な感情だったと思います。

 

でもそれが、私のタトゥーの原点になっているし、ピアノに教えてもらった私が生きる中で大切にしていること「自分が行動しなければ、永久になにも変わらない」は、彫ってから20年経つ今でも腕のジスマークと共に私の中にあるんですね~。

なんでジスマークを入れたか、意外に短く書けた!(笑)

 

 

物心ついた時から父とはそれぞれが感じる「しあわせ」という価値観について理解し合えず、「いれずみなんか、人間のすることじゃない。」という意見の父とは、最期まで本音で話をすることができませんでした。

たしかに、私のこころに寄り添ってくれてたピアノを買ってくれたのは、父ですし、

「おまえのためだ」と言われたときに、私が素直に感謝できるひとだったら、問題なかったんでしょうけど。ごめんね、お父さん。お父さんにはお父さんのために生きてほしかったんですよ。

 

 

親族でも歩み寄れなかった経験は、自分と違いのある相手を批判せず、偏見も持たずに、お互いを尊重することの大切さと難しさを教えてくれます。

 

そして「だれかのために」ではなくて、「自分がまずしあわせを感じられるために」生き始めて、彫師になって、しあわせなことに「メイさんに彫ってもらいたい」って言ってくれる方々に出逢うことができて、こんな自分でもだれかの役に立てていることに気づけた、そんな2000年からの20年でした。

 

私のJISマークみたいに、タトゥーには一つ一つの話があって、思いがあります。

彫師をしている中で、私がいちばん心がジンジンするのを感じるのは、ご縁があって私を選んで出逢ってくださる皆様と、それぞれみんな一つとして同じ話はない話や思いをシェアして、それを形に昇華していく時間です。

ただ彫るだけじゃなくて、そのタトゥーを見たとき、お客様がどう感じるタトゥーを彫っていくことができるか、彫り終えてからの、お客様がタトゥーと共に過ごす時間について、彫る前にゆっくり考えていくことの楽しさは、本当に言葉では足りないくらいワクワクします。

 

そこに、わたしにとっての「しあわせ」の源がひそんでいるんですね。

 

やっぱ文章長くなっちゃった…(笑)

最後まで読んでくださって、ありがとうございました^^